愛
個人的に、お姉さんの小林麻耶さんよりも好きだった小林麻央さん、
ご冥福をお祈り申し上げます。
このブログのタイトル、”裏番長日記” 強そうな感じのするタイトルですが、書いている人間は弱いです。公私共に打たれ弱いです。すぐに凹みます。「死にたい」と思ったこともあります。まぁ、自ら命を絶たなかったので約49年、生きていますので、この記事も書けていますが。
丁度、2週間前、ある出来事で凹みました(当ブログにも何回か書かせて頂きました)。
好きだった人です。大好きだった人です。愛していた人です。一昨年、ある病気が発症したと告白されました。本当に、頭の中が真っ白となりました。しかし、私自身暗くなってはいけないと思い、より明るく振舞いました。
その後、会っている時に将来自分が全てを背負って生きていこうという決意をしました。そして、その気持ちを言おうと思った時、相手の話しや行動で不審な点が出てきました。
ちなみに、本人は治療などで病気が改善されてきたそうです。
で、いろいろな不審点を自分なりにいろいろと調べたり、本人に核心な点は聞いていませんが、探りを入れるような話題を持っていったりしましたが、その返事などが不審をますます増大させることとなり、最終的に2週間前に別れるというか、相手がいろんな人に対しさまざまな矛盾点が発覚し、取り返しのつかない状況となり、向こうが私の前から去らなければならない事態となりました。
私には、いろいろと話しを聞いてくれる人が少ないですがいます。助けてくれる人がいます。
永塚様
公私共にお世話になっています。というより、お互いに持ちつ持たれつという関係ですが。
年上ですが、友人だと思っています。親友だと思っています。変な意味ではないですよ、健全な男同士の友情。これも愛だと思います。
会社愛・仕事愛・異性への愛・同姓への愛・電車愛(つまり鉄道ファン 私です!)などさまざまあると思います(いい意味か悪い意味かは別として)。【愛】を【愛情】と言い換えていも良いと思います。
つまり、人間は周りのさまざまな愛情によって生きていて、自分も周りのさまざまなものに対して愛情を持って接していくことで生きていけるし、生かされているのです。
愛とは、とてつもない大きいものであり、人間が生きていくのに必要なものだと思います。
小林麻央さん、最期は愛している家族に見守られていた、囲まれていたことは幸せだったと思います。
私、全てにおいて愛を持って生きていこうと感じた今日です。そして、自分の最期、愛している人たちに囲まれているようになっていれば幸せだろうなと思いました。
今まで、《愛》と何回か書いてきました。書いている間にさまざまな意味が浮かびました。愛という言葉は、深くて、重くて、大きい
とりあえず(言葉が悪いな!)ではなく、明日も仕事です。愛を持って仕事に精進しよう。
○○さん 貴女を救おうとしている人は私だけではありませんよ! 絵を描いているあの人も同じ気持ちですよ! 一報を!!
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