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2005年12月23日 (金)

シリーズ南武線 第二回

私鉄でスタートした南武鉄道ですが、昭和19(1944)年4月1日に、国に買収され国鉄となりました。当時は、運輸通信省の所管でしたので、国有の鉄道を”省線”と呼んでいた時代でした。私鉄時代には、駅名に企業名等を使っていましたが、国有化と同時に改称した駅がいくつかあります。

  • 久地梅林駅→久地駅
  • 日本ヒューム管前駅→津田山駅
  • 日本電気前駅→向河原駅 尚、昭和15(1940)年8月5日には、向河原駅から日本電気前駅に改称した経歴がありましたが、元の駅名に戻ったということです。

昭和4(1929)年3月20日に川崎駅-矢向駅間が複線化され、小刻みに複線化を延ばしていき、昭和41(1966)年には全線の複線化(立川駅構内は単線のまま)されました。

また、初期の開通から矢向駅が車庫としてありましたが、昭和35(1960)年に新たに武蔵中原駅が南武線の車庫となりました。なお、矢向駅の車庫跡地は、現在も南武線電車の留置線として利用されています。

昭和44(1969)年12月15日から、川崎駅-登戸駅間に途中、武蔵小杉駅・武蔵溝ノ口駅の2駅だけしか停車しない”快速”電車が走り出しました。しかし、1日6往復で日中だけの運転。さらに、1時間に1本で、途中の武蔵中原駅だけで各駅停車の追い越しのため、不評だったそうです。そのため、昭和53(1978)年10月2日に”快速”電車は廃止されました。

つづきは、”シリーズ南武線 第三回”へ

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コメント

 信栄不動産の竹川です。
 昔、山手線も省線と言っていました。なぜか分からなかったのですが、運輸通信省の所管だったからなのですね。ためになりました。
 ではでは。

竹川様、どうもです。
”ゲタ電”とも言われていた時代がありました。「下駄のように気軽に乗れる」という意味もありました。

また、民営化したときにJR東日本では、首都圏の電車を”E電”と命名してアピールしましたが、全然浸透しなかったです。
今は、”JR○○線”と言っていますね。

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